日付2014年10月11日

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日付2013年10月12日

生きろ、生きねば、生かさねば。

ついに、というか、やっと、僕の本が発売されました。

普通に本屋に行けば置いてあるそうです。

Amazonで買いたい人はこちら

でも、もう在庫切れ状態のようです(苦笑)

初版は12000部らしいんで、在庫は結構あります。

全国の3000とか、4000店舗に置かれるようなんで、
1店1店の在庫数は少ないと思いますが、大きめの本屋に
行けば、たぶん、手に入ります。

ん、でも、4000店に並ぶとしたら、1店あたりたった3冊か。

Amazonでも売れてるし。

意外と、増版がかかるまでは在庫切れが続くかもしれませんね。

特にキャンペーンとかは打たないので、欲しい人は書店か
Amazonで買ってください。

「宣伝で売れる本」じゃなくて、「中身で売れる本」を
目指しています。

値段も1000円と安いんで、プレゼントにいいかも。

まあ、買いたい人だけ買ってくれたらそれで十分です(笑)

ゴミにされるのは嫌なんで(苦笑)

折角書いたんだから、ちゃんと読んで欲しいなぁ、と。

もう本も出ちゃったんで、「売れて欲しくない」とか、
そんなことも言ってられなくて、後は流れに身を任せて、
「和佐大輔の実力がどれほどのものか?」を見極めたいと
思います。

先日やった、物語プロジェクトのセミナーでも話しましたが、
これから先の1年間は、

・デビュー
・イデア(物の本質を見極める)
・ゼロ


という、3つのキーワードを意識して生きようと思っています。

出版は文字通りデビューだし、これによって「和佐大輔」という
存在の本質が明らかになる。

そして、「いま、ここ」つまり、「和佐大輔の本質」を「ゼロ」と
して、次のステージに行こう、と。

そーゆー1年になると思います。

例えば本が大して売れなければ、和佐大輔の存在的価値は
世間一般から見れば「それだけ」ということ。

1万部しか売れなければ、僕は「1万部しか売れない存在」な
わけです。

それが、僕の次の「ゼロ地点」になる。

バブルのように膨れ上がった虚像ではなく、現実を動かせる
実像が、その数字に表れるってことです。

僕は「1万人に本を売ることが出来る」という、現実を動かす
パワーと領域を獲得出来るわけです。

10万部売れたらそれだけ、パワーも領域も膨れ上がる。

100万部売れたら、さらに膨れ上がる。

結構重要なことなんですが、僕らはいつも、常に、
「制限された世界」に生きています。

例えば、僕には100キロどころか、10キロの重りも
持てないし、動かせません。

手の届く範囲にあるものにしか触れることも出来ない。

つまり、「100キロの重りを持ち上げる」という現実への
干渉をするには、

・100キロを持ち上げるパワー



・手の届く範囲内に重りがあること(自分の領域)

の、2つの条件が必要なわけです。

これが、僕らが実際に「動かせる」現実の正体です。

ここに「意思の力」が加わって、パワーを何に向けて、
どう使うかが決定されるわけですが、とりあえず、
「現実を動かせる可能性」は、パワーと領域の2つの条件に
よって変わります。

僕が仮に、「100万部売れる人」になったとしたら、
僕はそのパワーと領域を手に入れたということで、
可能性は今よりももっと大きなものになります。

「さて、この力を何に使おうか?」と、悪魔のような意思を、
天使の笑顔で遂行出来るようになるわけです(笑)

僕は怪我をして体の機能が著しく低下したわけですが、
僕のような人間が、普通に生活するには「リハビリ」という名の
「訓練」が必要です。

普通の病院では、リハビリと言えば、「体を固くしないように
ストレッチをする」とか、「ちょっとした筋トレをする」という
程度のことを指すわけですが、

僕のいた「兵庫県立リハビリテーション病院」という場所では、
そんな甘っちょろいことではなくて、肉体改造に近い訓練を
日々行っていました(苦笑)

どんなものかというと、要するに、

体の機能が失われていることを前提として、
少ない機能でより多くの目的を達成するために
身体構造と運用を障害に最適化する


ということをやります。

例えば、自分の肉体を、一種の機械だと思ってください。

僕は足が動かせないし、感覚もないわけです。

言ってみれば、「足」というパーツは完全に不必要で、
使えないパーツです。

シャアが「ジオング」を使う時に、未完成だった「足」を
付けずに出動したように、僕の足なんて、機械的に見れば、
不必要なわけです。

まあ、実際は僕も人間なんで(苦笑)

「足を切り落とす」という決断はせずに、
「もしかしたら未来の医療技術なら・・・」という、
淡い希望を持ちつつ、足の処理は先延ばしにしています。

いや、実は意外と、この足は役に立ってて(笑)

僕の体のバランスを取る機能もあるわけで、また、僕がかろうじて
「人間」として扱われるためにも、必要不可欠と言えるものなので、
残しておいてやろう、と。

で。

余計な話をしてしまいましたが、僕には「動かせないパーツが多い」
という、現実の壁が横たわっているわけです。

でも、「動かせないことが前提」となれば、結構話は変わります。

人間は創意工夫をするものです。

例えばですが、僕の数少ない動かせるパーツである「腕」ですが、
動かせるといっても、実際には筋肉量も少なく、三角筋は動かない
ので、腕を曲げることは出来ても、伸ばすことは出来ません。

じゃあ、どうやって伸ばしているのか?というと、それは、
「代償」といって、別の筋肉を使うか、重力を利用します。

「利用出来るもので補う」というのが、僕のような人間には
一番大事なことなわけです。

そして、もう1つ大事なことは、
「利用出来るものはとことん利用する」ということです。

例えば、
「少ない筋力で、大きな運動をするにはどうすればいいか?」
ということを考えたことはありますか?

普通は考えないでしょう(笑)

でも、僕はこの少ない筋力で、色々なことをどうにかしなければ
ならないので、必然的に考える、というよりも、教えられるわけです。

僕がリハビリの先生に教えられたことはただ1つ。

関節の稼働域をひたすら広げろ

ということです。

僕が実際に1年間ずっとやっていたことは、肩関節と肩甲骨の
ストレッチと言う名の拷問です(苦笑)

相撲で言えば「股割り」のようなことを、1年間ひたすらやって、
1ミリでも大きく動くように、肉体改造をするわけです。

「車椅子をこぐ」という動作1つにしても、腕の力だけでは
どうしようもないので、「腕を大きく振る」という動作によって
筋力の小ささを補うわけです。

ぜひ、やってみて欲しいんですが、仰向けになった状態で、
肘を後ろについて、片方の肘に全体重をかけ、背中で肘と肘が
くっつくようになるぐらいまで、ストレッチをするわけです。

骨折などをしたことがある人なら想像出来るかもしれませんが、
寝たきりの状態で体が固くなっている時に、このストレッチは
地獄です(苦笑)

でも、関節の稼働域を広げなければ、筋力量ではどーしよーもない
壁にぶち当たり、ほとんどのことが「出来ない」となってしまいます。

利用出来るものはひたすら鍛え、
利用し尽くし、出来ることを増やす。


スポーツをある程度のレベルでやっていた人ならわかると思いますが、
どこかの段階で「パラダイムシフト」を起こさなければ、
壁は越えられません。

僕の場合は、「動く前提で動かしていた体」を
「動かない前提で動かす」というパラダイムシフトを起こした
のです。

僕のマインドの根底はここにあります。

末っ子に生まれたことも、田舎に生まれたことも、全てが、

「出来ることで、最大のことをする」

という、発想に繋がっているし、怪我をしたことでそれが、
切実な問題となりました。

「和佐大輔は、和佐大輔でしかない」
「現実は、現実でしかない」
「いま、ここを出発点にするしかない」

ということです。

僕はこのマインドでずっと生きてきたし、工夫を重ねてきました。

そして、少しずつ、リハビリのように「1ミリでも大きく動かす」
ということを積み重ねてきたわけです。

今回の出版で、僕の動かせる現実は、また1ミリ広がったかも
しれません。

逆に、1ミリ狭くなったかもしれない。

どっちにしろ、この1年で結果は出るでしょう。

だから、「イデア(物の本質をよく見極める)」なのです。

和佐大輔の存在価値、影響力、社会的な意義を見極める。

僕は僕である。

しかしそれは、

「僕が思う僕」と「誰かが見る僕」の表裏一体で成り立っていて、
僕は、「誰かが見る僕」を見極めなければならない。

「僕が思う僕」の自尊心を高めるのは簡単です。

自分が得意なことだけをして、お山の大将を気取ればいいわけ
ですから。

要するに「これまでの僕」ですね(苦笑)

「これからの僕」をデザインするためには、1度、自分を手放し、
他人に委ねてみることが必要です。

というか、僕はそう感じました。

だから、この1年は、僕は「誰かが見る僕」をよく見て、
見極める必要があります。

「和佐大輔には、どんな可能性があるのか?」を。

出来るだけ多くの可能性を知った上で、僕は「次の僕」を選択します。

政治家になれるかもしれないし、
漫画家になれるかもしれないし、
タレントになれるかもしれないし、
作家になれるかもしれないし、
旅人になれるかもしれない。

はたまた、

貧乏になれるかもしれないし、
ホームレスになれるかもしれないし、
病気になれるかもしれません。

可能性は等しく、可能性でしかないわけで、選択するのは僕です。

わざわざ辛い道に行くことはないかもしれませんが、
必ずしも楽な道を行くわけでもない。

僕が楽しいと思える道を行くわけで、
「楽しそう」と思える可能性を選びます。

選択した可能性が実際には「最良」ではないかもしれませんが、
過ぎ去って行く時間は元には戻せないわけで、僕は何もしなくても、
毎秒死んでいるわけです。

1秒前の自分はもういない。

1年前もいない。

「1年間何もせずに立ち止まる」ということは、
1年間の自分をただ、見殺しにして来たということです。

まあ、かといって、「1秒も無駄に出来ない」なんて、
殺気立って生きるつもりも無いので、適当に自分を殺し、
適当に自分を生かし、適当に「いま、ここ」を楽しもうかと。

「本当に大事なものは道中に全部あった。
 まあ、ゆっくり行けばいいさ。」

目的至上主義の世の中で、目的を至上として生きれば、
その目的は達成されるかもしれない。

でも、本当に大事なものを忘れてしまうかもしれません。

目的は目的。それだけのこと。

達成出来たら出来たで次がある。

絶対普遍のものではなくて、諸行無常の一部でしかないわけで、
「いま、ここ」も同じです。

同じ諸行無常なら、楽しんだほうが良いに決まっている。

楽しむためには、兎にも角にも、
「いま、ここ」をゼロ地点にして、認めて、出発するしか無い。

それが例え「絶望」であっても。

絶望だからこそ、確固たる足場となるわけです。

ルフィやゴンが負けを認めて強くなったように、
絶望は力になる。

マイナスは必ず、プラスに転化される。

ってことで。

何の話だったか忘れましたが、もっと多くの人に、
「生きて欲しい」って思います。

生きろ。
生きねば。
生かさねば。


変な三段活用ですが(苦笑)
僕らの生きるステージはこんな感じで、変わって行くんだと
思います。

アシタカは、もののけとして死のうとするサンに
「人間として生きろ」と言った。

「一緒に生きよう」と言った。

これが始まりです。

「生きろ」とは、「生きてもよい」という、祝福の言葉。

僕らは誰かに肯定されたとき、初めて生きることが出来るわけで、
心理学や脳神経科学で言われる「親との関係性」も、これに当たる
わけですよね。

子供の頃、ぞんざいに扱われてしまったら、祝福されないまま
育ってしまう。

だから、「こうなれ」とか、「ちゃんとしろ」ではなくて、
無条件に「生きろ・生きてくれ」ってことなんだと思います。

それが全ての始まりだ、と。

そして、やがて自我の確立とともに、あるいは、迫り来る危機に
対して、「生きねば」という意思が生まれる。

僕らは今、危機に瀕してますよ。

知ってますか?

「これ以上先に、伸びしろがあまり無い」ってことを。

科学のフロンティア開拓の時代から、淘汰の時代へ。

ITフロンティア開拓の時代から、淘汰の時代へ。

金融フロンティア開拓の時代から、淘汰の時代へ。

資源フロンティア開拓から、淘汰の時代へ。

人間の歴史は「開拓」の歴史です。

開拓するために、人間は増えた。

労働力を確保するために、農耕が始まり、農耕に時間が取られなく
なったから、技術が発達したわけです。

じゃあ、これから先、どこにフロンティアがあるの?

宇宙?
深海?
地中?

まだまだあるにはあるけど、僕らにはあまり関係がない。

だってそこには、「人手」はもう、必要ないから。

むしろ「訓練された人」しか行けない。

僕らのような凡人には、もう伸びしろは残されていなくて、
これから先、淘汰の対象となる運命にあるわけです。

危機に瀕した時、生き残れるのは「生きねば」と、自分自身に
問いかけた人間だけ。

そして、「生きねば」という強い意志で生きた人間は、
次の世代に対して、「生かさねば」という想いを抱く。

最後には巡り巡って、「生きろ・生きてくれ」と、祝福する側の
人間になるわけです。

生きろ。
生きねば。
生かさねば。


生きていいんですよ。
僕らは自由に。

自分が思う「善いこと」をやればいい。
それだけでも、生きている価値がある。

目的ばかりを追いかけても、満たされないかもしれないけど、
自分の正義や美学に生きれば、必ず満たされるし、次へと
繋がって行く。

自分の未来にも、
他人の未来にも。

さて。

僕はこれからどこに繋がるんだろう?
どこへ行けるんだろう?

とりあえず、近いうちにわかってくるでしょう。
種は蒔いたから。

ではでは、今回はこれで。




和佐大輔




日付2013年10月11日

ついに本が出たぞ!「テトラポッドに札束を」

どうも、和佐です。

ついに、というか、やっと、本が出ました。

2013年10月10日、幻冬舎から発売です。

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初版は12000部で、もう全国の書店に置かれているらしいです。

東京の本屋には普通に置かれてました。

色々書きたいことはあるんですが、とりあえず、報告をしておきます。

では。